続・親父



その後、先代御宗家の奥様が執筆された本徒手空拳(文芸社)の160ページに錬心舘草創期
の写真が掲載されており、その写真の中に父の姿がありました。







画面向かって左端の2列め、旗の下で写っているのが父です。


今年(平成19年12月7日) 父が他界してから20年がたち、父の一番下の弟が遠路はるば
る大阪まで来て父の仏前に手を合わせてくれました。

そのとき、この本に載っている写真を見せると、「これは兄貴に間違いない」太鼓判を押し
てくれたのです。この叔父は父と12歳年がはなれており、当時小学生だった叔父は父に連れ
られてよくこの道場へ見学に行っていたそうです。


そして私が大変驚いたのは、当時父の先輩で、高麗町にあった錬心舘道場の師範代を務め
ていた「松田実光」という方が、のちに大阪府高槻市で歯の技工所を開き、父の紹介で叔父
はこの松田実光さんの技工所で数年間働いたことがあるということでした。





中央に写っておられる先代御宗家の右側、つまりの画面向かって左に写っておられるのが、
松田実光さんではないかと叔父が話しておりました。
がっしりとした体格で、とてつもなく強く、当時から父もかなり松田さんを慕っていたとのことでし
た。

叔父が高槻市に住んでいた頃、当時父が支部長を務めていた「高槻南支部」(広島硝子空手
道部)に松田さんが空手の指導に来られたこともあったそうです。

五人きょうだいの一番下の弟である叔父から、父の空手時代の話しを聞くのはこれが初めて
であり、当時、父が「四方学舎」で稽古が終わったあとも、道端で稽古していた話しや、

空手の試合で、相手の選手が体の小さかった父をナメて掛かっていたのか?構えを取らずに
父に接近した際、一瞬のうちに身体を回転させ、父が後ろ回し蹴りで相手を倒した話しな
ど、大変興味深い話を、私たち姉弟とその子どもたちに話してくれました。

今年、58歳になったこの叔父は現在、静岡県伊東市で会社を経営しています。今回、約8年
ぶりに叔父に会った訳ですが、私が錬心舘の師範になったことを叔父は大変喜んでくれて、

   兄貴はシンゴに空手という素晴らしい財産を残してくれたんだな・・・・         
 
        と言ってくれたあとは、もうお互い言葉にはなりませんでした。

あれから20年、もし生きていれば親父は今年で70歳です。この20年の間に私たち姉弟3人
は皆結婚し、子どもも2人ずつ出来、親父から見れば孫が6人できたことになります。 

これからは折に触れ、自分の子どもや甥っ子や姪っ子たちに、太く短く生きたおじいちゃん
の話しをして行く事が、私に課せられた役目であるとも感じております。

最後になりますが、この「親父」をHPにUPしてからの5年間、本当にたくさんの方々からのご
感想、また励ましのメールを頂いたことを心から感謝いたしております。

今後とも、少林寺流 錬心舘の一師範として日々精進して参りますので、

         皆様のご指導、ご鞭撻のほど宜しくお願いいたします。

                            
                           2007年(平成19年) 12月7日 

                            築地愼吾


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