親父・完結


2010年8月1日 鹿児島アリーナで行われた第2回・国際親善大会の会場

父の拳友だった方にお会いすることができました。

このHPで「親父」をUPしてから8年目にして、

やっと父と一緒に写真に写っていた方とお会いし、

当時のお話を聞けることが出来たのです。

その方とお会いする機会を与えてくださったのが、

現鹿児島県空手道連盟副会長を務めておられる上水流先生です。

以前「築地」という名前に反応してくださり、

父の山形屋時代の写真を上水流先生にお見せすると、

父と並んで写真に写る人物を見て、「この人は私の先輩だよ」

そう言っていただいたのです。

昨年、横浜で行われた全国大会のとき、上水流先生がわざわざその方に電話をしてくださり、

来年、鹿児島でお会いしましょうと言う事になり、今回の対面となったのであります。


あなたのお父さんとお母さんが大阪へ行って、

双子が生まれたと聞いてはいたんだが、こうやって会うのは初めてだね。


そう言われてから、その方から昔のお話を聞かせていただくことができました。

その人物とは、このの隣で座っている男性(画面向かって右)




お名前を「田之頭さん」と言います。田之頭さんは父と同じ年で、

父とはよく気が合い、大変仲良くされていたとのことでした。

山形屋では父が「時計店」で働き、

田之頭さんは「おもちゃ屋」さんで働かれていたそうです。

短い時間ではありましたが、大会会場で大変興味深いお話をいくつも聞かせていただきまし
た。山形屋空手部が発足されてから、デパートで働く社員の方が次々と入部して来たため、

わざわざ山形屋まで、先代の開祖宗家が指導に来られていたというお話や、山形屋はデパー
トですから女子の社員も多く、山形屋の空手部の中に女子部を発足し、

わずか数年の間に7名の女子の黒帯を誕生させたお話しなどを聞かせていただきました。

また、中には明らかに喧嘩に使うために空手を習いに来るような輩もいて、

そういう人には徹底して「型」しか教えなかったそうです。

すると案の定、基本と型の稽古に嫌気が差し、そのうち、

そういう人は道場に来なくなったということでした。

しかし、そんな中にも礼儀を知らない喧嘩なれした者がやって来て、

黒帯の人間と組手をやりたい!と強要され、その時、

その相手をあなたのお父さんがコテンパンにやっつけたんだよ。

そんな興味深いお話しまで田之頭さんから聞かせて頂くことができました。

また、錬心舘高麗町にあった道場時代のお話しもして下さいました。

高麗町の道場は畳六畳くらいしかないない小さな道場で、

すぐに人がいっぱいになるので、庭で稽古をしていた話や、

開祖宗家は本当に空手を習う気持ちがある者しか空手を教えなかったというお話し。

そして最も興味深かったのが、田之頭さん父同様開祖宗家がどれくらい強いのか?
疑問を抱き、組手の稽古の時に開祖宗家を本気で倒そうと思ったそうです。


体の小さい先生だったからね、前蹴りで倒しに行こうと思って掛かって行ったら、

もう自分の後ろにいるんだよ!信じられないだろうけどね、

それくらい保先生は動きが速くて強かったんだ。

だから、草創期の錬心舘道場は他流から流れて来る人が多くてね、

独特の間合いと華麗な蹴り技にみんな魅せられたんだと思うよ。


そう仰っていました。

そして私が子どもの頃からずっと思っていた「親父は強かったのか?」

その疑問を単刀直入に田之頭さんにぶつけて見ることにしました。


あなたのお父さんは細かったからね、

フットワークを使って軽快な動きで組手をしていたんだ。

組手の動きは上水流くんとよく似ていたね。蹴り技も速かったよ、

後ろ回し蹴りなんか特に速かった。


そう言っていただきました。それと大変驚いたのは、

私の母のお話しまで田之頭さんがされたことです。


あなたのお母さんはね、

鹿児島でも有数の進学校である甲南高校を主席で卒業したんだよ、

これは当時、山形屋にあなたのお母さんの同級生がいてね、

あの成績優秀の久永(母の旧姓)さんは、どんな人と結婚するのか?

と噂していたくらいだから間違いないんだ、

それがどこでどうあなたのお父さんと繋がったのかね、アハハハハ・・・・


母が主席で卒業??? 

(・・・あのオカンがまさか・・・)


そんなサプライズなお話しまで聞かせていただき、私は大変驚愕しました・・・


そして、この方が、冒頭の写真に写られていた今現在田之頭さんです。



田之頭さんと息子の礼雄と私


短い時間ではありましたが、とても有意義な時間を親子揃って過ごさせていただきました。

そして最後に田之頭さん1枚の写真を私たちに差し出してくださいました。

それは父と母が結婚し、鹿児島から大阪へ旅立つときに、

駅のホームで撮った二人の写真でありました。

初めて見たこの写真、田之頭さんが今から49年前

およそ半世紀前に撮られた貴重な写真です。


あなたのお父さんとお母さんが大阪へ行く時に

山形屋の空手部の連中と見送りに行ってね、

その時撮った写真を、ずっと渡しそびれていたんだよ。


そう言って田之頭さんから受け取った写真を見て、私はを堪えるのに必死でした。

なぜなら、私のそばに息子の礼雄がいたからです。

日頃から男がメソメソ泣くな!と息子に言っている手前、

どうしても泣く訳にはいかなかったのです。

ただ、大会会場をあとにし、ホテルの部屋で息子が寝たあとに、改めてこの写真を見たとき、

自然に涙がこぼれてきました。


今から半世紀前、鹿児島から夢を持って大阪へ旅立った二人




大阪に出てきてからは紆余曲折があり、本当に築地家苦労の連続でありましたが、

私が師範になり、孫の礼雄黒帯に成ったことを

父も母も喜んでくれていると想います。

足掛け8年に渡ってHPで紹介してきた「親父」も、これで完結することが出来ました。

最後になりましたが、今回、田之頭さんを紹介していただいた上水流先生に心より感謝し、

また、この「親父」を最後までご覧いただいた皆様に心から感謝し、


この「親父」を結ばせていただきます。


長い間、本当にありがとうございました。


                               2010年(平成22年) 12月31日 

                                  築地愼吾

追記

2021年5月吉日

昭和49年1月8日に父が支部開設の申請をした申込書を本山

事務局より見せていただきました。

懐かしい父の字を見て姉弟3人、思い出話に花が咲きました。